インタラクリ
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相田みつをを阻害すること、ケータイ小説を阻害することでしか
自分たちの優位をアピールできないところに、
現代詩、純文学の行き詰まりがある。
批評はその延命策に追随するばかりだから機能しないのだ。
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同意。それは、現代詩、純文学の話ではない。
つねに、下世話なものに触れ、冷静に分析し、
広告が、気高い「純広告」にならないことを、切に祈る。
広告ヤンキーになるのは、とっても大変だが。。
なんとも興味深い内容でした。
広告ヤンキー
この言葉の響きに強い存在感を感じる。
確かに「広告」は「純文学」に近い、どこか崇拝的なイメージを持っているかも。
特に自分にしかり、広告に憧れているモノはそうかもしれない。
世間的にも、"広告業"って言われると、どこか高嶺のイメージ。
でも今は、メディアもコンテンツもユーザー主体のもの。
発信するユーザーが利用し発展させおもしろさを増幅させる。
それってもちろん下世話もあり、多少のルール違反もあったりする。
正しい訳ではないけれど、ユーザーに自由に提供している時点で制限は厳しいのかな。
それに制約がかかると面白さだって半減しかねない。
だってそれが今の社会を動かしてるし、影響を与えてる。
個人の声がメディアを超えてたくさんの人に届くメッセージになる。
こんな素敵なことはないと、本当にそう思ってしますのです。


