広告にできること

まずタイトルからしておかしい(笑)
広告で何か大それたモノゴトを成し遂げるとかそれ自体が違和感。
それぐらい、消費者にとって「在る」ことに意味をなさないものが広告。

でも必ずどこかで触れていて出会っていて意識の中で漂っているもの。
そのか細い記憶の中で凄まじい競争の渦に打ち勝ったものだけが消費者のアクションを勝ち取る。

最近ではアクションを勝ち取るなんて力技ではなく、消費者の世界観に浸透し、交友関係の中から生み出させた感を演出し、あたかも友達のような親近感を漂わせつつ、しれっと生活に入り込む。

便利なことに消費者が利用するメディアやサービスの中で、より楽しく味わう手段としても利用される。
広く、告げる、その目的は様々な媒体を通じ、変化し、多様化している。
「協力」や「共感」がその核となり、無意識の中で演出を促している関係性と満足感を作りだす。
それってとてもスゴいことだし、商品やサービスを告知する広告の目的を遥かに飛び出していると思う。
広告が入り込む隙が多様化し、また広告自体がアメーバみたいに縦横無尽に対応出来る応用力がついたんだと感じる。

広告にできること。

一枚のポスターがたくさんの消費者を魅了し、アクションへと促すそのダイナミズムにしびれた。
カッコいいと思った。
そんな広告に触れていたいし、何より作り手として挑戦したいと思った。

もう一度、広告のすべきこと、成せること、求められることを考えたい。
様々な可能性があり、逆に危機感を抱いているからこそ。
人や社会に役立つものである、といったらそれこそ大げさかもしれないけれど、広告だから商業的で消費される無駄なものって考え方はしたくない。
それ以上に無駄なものってたくさんあると思うし。

人ひとりに届ける本質的で愛着のあるものも必要。生活に欠かせないものであれば尚更そうだ。
でも、「伝える」ものの価値や知らないことを知る楽しさもあるはずなんだよ。
それが国や距離や時間を越えて人に影響していく、その超越していく事実がたまらない。

それって理詰めで構築した建造物に対して、フィットする居心地のいい空間は人それぞれで、計算されたものから成長し変化したものの発展性に近い、と勝手に思ってる。
それくらい手離れしてから、想像を越えた何かに生まれかわる余裕というか、隙間があった方が単純に楽しい。
ガチガチで固めたものより自分らしくいける、そんなヌケ具合。

多分全然、答えはまだまだ見えないけど、広告の有り様は人や時代で確実に変われる。変わっていける。
その世界で生み出すクリエイティブが今の原動力。

それだけは確か。